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2010年7月31日 (土)

No.256『黄姑』

第256弾投入。
十二国記「風の万里 黎明の空」編2。
今回は、おー、何故か消しハンにすると上手くいく老人シリーズだ。才国采王<黄姑(こうこ)>をば。

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うむ、やはり老人は上手く行く。
しかし今回に限れば、口許がやや歪んだような気がします。どことなく麻○元総理。

さて黄姑。
姓名は中瑾。またの字を慎思とも申しまして、元は才の前王・砥尚の叔母であった人物。そもそも黄姑、という字は、黄が高貴な人間を意味し、姑が叔母という意味なので、王の叔母というそのままなのですね。
温厚で思慮深く、砥尚やその周辺に集った若者たちの師匠とも言える役割を果たしており、その為砥尚が王となった後は、王の相談役である三公と呼ばれる職の一つである太傅に任じられております。
その後、砥尚がとある事件によって自らの過ちに気付き、禅譲=死を選んだため、残された采麟はこの黄姑を次なる王に選定したということになってます。
その辺りは、短編集「華胥の幽夢」の表題作「華胥」に収められております。
「風の万里 黎明の空」当時、登極から十数年ということで、まだ王の経歴としては短い方なのですが、すでに国はよい方向に向かいつつあるというのが一般論。多くの若者たちに影響を与え、導いてきた老成された考え持つ人物ゆえに、安定度は高いのでしょう。
「風の万里 黎明の空」作中では、梨耀の元から逃げ出してきた鈴を保護する時に登場。
そこらのおばさんみたいにサクッと出てきて「主上であらせられますか!?」と驚く鈴に、「はいそうですよ」とサラッと応えるあたり、黄姑の人柄が表れてますね。
その後鈴から梨耀の話を聞いて、梨耀とも対話。梨耀を諌め、梨耀の使用人たちを王宮に召し上げることに決定。しかし幼い考えの抜けない鈴には「大人になった方がよい」と、下界で暮らすことを薦めます。それを「私の気持ちは同じ海客にしかわからない」と嘆く鈴に対して「生きるとは、嬉しいこと半分、つらいこと半分」と諭すんですが……このセリフ、未熟者な私にはまだ真意がイマイチつかめないんだ……なんか、字面以上の深い意味があるんですがね。
ま、そうやって鈴を突き放しつつも、きちんと旌券やお金を用意してあげたりとサポートは忘れない。鈴もその後、慶の叛乱をへて成長し、黄姑の真意を大分理解できたようなんですが。

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次回予告。
SAMURAI 7、サムライ七人目。
速刈りのタゴ……もとい、由緒正しきはずの十三歳。でも巨大。でも機械。

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